ココロ・ころころ

自分らしい人生を送るための、心のあり方考え方などを書いています。絵のこと、親との関係、尿漏れ、その他どうでもいい話も。

自分の「ふつう」と他人の「ふつう」、ふつうじゃなくてもいいと思うことで少しラクになることがある

眠い22時前

いかがお過ごしでしょうか?

 

 

心屋リセットカウンセラー

ジャージコバ認定カウンセラー

ときどき絵を描く人

 

ほげ子です

 

 

 

自分の「ふつう」は


必ずしも


万人にとっての「ふつう」

ではない

 

 


自分の「ふつう」は


自分以外の人間にとって


「異常」

「変」

だったりすることも多々ある

 

 

 

 

極端な話


それを

「ふつう」と思っているのは


自分だけかもしれないのだ

 

 


あなたの「ふつう」は


みんなと同じだろうか?

 

 

 

きっと

 

違うと思うのだ

 

 

 


だから


「ふつう」は、○○するよねぇ?

ああいうのは「ふつう」じゃないよねぇ?


という会話は


なんの展開も産まない

 

 


その問いに

同調したからといって


自分の「ふつう」と
目の前の人の「ふつう」が

 

同じとは限らない

 

 

 


そもそも


波風を立てないため

同調する人間も


特に日本には、多数存在する

 

 


女性においては


同調するというのが


生き残り戦略として、大いに有効だ

 

 

 


これは


こういうのがふつうだよねぇ?

あいつおかしいよねぇ?


という問いを


長いことしまくったわたし自身が

 

身にしみて思うことだ

 


※ここについては

また別の記事でもう少しご紹介します

 

 

 


自分の「ふつう」


他人の「ふつう」

 

違いを楽しむことが

 


自分の価値観を広げ


住む世界を広げ

 


広がったぶん

 

生きるのがラクになる

 

 

 


ふつうじゃ無くてもいいか

 

 

そう思ってみたとき

 


ラクになる一歩がはじまるのだ